いのちのお別れ
papaさんの親戚の方が亡くなられ、その通夜、葬儀に参加しました。
ゆうたんを連れての参加となり、悪い盛りのゆうたんがいのちのお別れの大切なセレモニーに静かに参加できるかちょっと不安でしたが、パパさんが、「連れて行く。」と強く決意。お葬式は、悲しいものであるからこそ、子どものあどけない姿で、少しでも場が和むようにと考えたようです。
ですが、お経があがる間は、いくら子どもとはいえ、おしゃべりや泣き声やぐずる声は厳禁。お通夜の日、会場に着く前にお通夜に出ること、お経があがっている時は静かにすることをよくよく言い聞かせて、参加しました。
お通夜が始まって、しばらくは静かにしていたゆうたん、周りの人を見て手に数珠を持ち、お参りをするしぐさをまねたりしていました。
でも、2歳10ヶ月の子にそう長い間静かに出来る、忍耐力は備わっていませんから、しばらくするとそわそわし始めて、ゆうたんと2人会場をそっと抜けました。
ですが、ゆうたんにしては、頑張ったと思います。
葬儀の場で、私たちが自然と口をつぐみ、下を向くのは、なくなった方に対しての尊厳や哀悼から、無意識にしている行為のように思います。ですが、ゆうたんは、人が死ぬことやその悲しみが理解できないし、知らないのです。
でも、いのちの尊さを知るいい機会だといも思い、その晩の帰り道、車の中でゆうたんに分かりそうなことを話してあげました。
死ぬこと。誰がなくなったのか。
死ぬともう二度と起きないこと。
みんながとても悲しんでいること。
大好きだった人が集まって、お別れをしていること。
だからお葬式の間は、みんな静かになくなった方の思い出を考えていること、などなど。
こんな事ゆうたんに通じないだろうとは思いつつ、話しました。
パパさんはその晩、斎場に残り親戚の方と、お通夜を守ってくれました。
明くる朝、ゆうたんは、亡くなったのが誰なのか分かったようでした。
棺に手を合わせるときも、ゆうたんなりにのぞき込んで、一生懸命手を合わせていました。
お通夜は静かに出来なかったゆうたんですが、お葬式では最後まで静かに膝の上に座っていました。
途中、小さな声で「もう終わった?」と訪ねてきましたが、「まだ終わってない、声を出したらダメだから、静かに」と言うと、理解して最後まで静かにしていました。
葬儀が終わり、私たちも火葬場に同行しました。
親族で、控え室で待機している時、ゆうたんはおじいちゃんに、「おじいちゃんのおにいちゃん死んじゃったね」と言ったそうです。
そして、収骨の時も騒いだりせずず~っと、儀式の一部始終を見守っていました。
ゆうたんにもなにか感じるものがあったようです。
お葬式とは悲しいものです。出来ればなるだけ、出席したくないものですが、いつか死は誰にでも訪れます。
私もいつか死ぬのだし、いつか私の大切な人の死に直面するかもしれない。
でも、誰もそのいのちのルールに背くことは出来なくて。
自分はどう生きることがベストなのか。
でも、命の尊さは幼い子どもにもきちんと理解できるものなのですね。
ゆうたんにも大きな経験になったようです。
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まぁくんは、大好きなクレームブリュレ。



















































































































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